AIは、
平均に収束する。
AIは80点を、驚くほど簡単に出す時代になった。けれど、その80点にはもう価値がない。誰が聞いても同じ答えが返るなら、そこに人間が入る意味はないからだ。では、私たちはどこにいるのか。
大規模言語モデルは、大きくなるほど賢くなる。これはそのとおりだと思う。ただ、その「賢さ」が何を指しているのかは、もう少し正確に見ておいたほうがいい。
モデルが大きくなるほど起きるのは、収束だ。世の中に無数にある答えの、その平均へ、なめらかに寄っていく。ポーカーで、プレイヤーの技術が上がるほど全員が最適解に近づき、打ち方が似通っていくのと同じことが起きる。大規模なモデルにとって、平均に収束することは劣化ではなく、いわば自然な帰結として、そこへ向かっていく。
だから何かを尋ねると、世間一般の平均的な答えが、正解のような顔をして返ってくる。しかも、それらしく、よどみなく。
収束は、劣化ではない
これは多くの場面で役に立つ。型の決まった作業では、平均は速くて安定している。実際、私たちの現場でも、数字を並べてレポートの骨格をつくる、業種や時期からおおよそのCPAやCPMを見積もる、といった仕事はAIが驚くほど速くこなす。自社の過去のデータ、たとえば先月の似た広告の数字を渡せば、かなり近い数字まで出てくる。80点なら、簡単に出る時代になった。
考えたいのは、その先のことだ。
80点が簡単に出るようになったということは、裏を返せば、80点にはもう価値がないということでもある。
誰が聞いても同じ答えが返るのなら、そこに人間が入る意味はない。聞き手がどんな経験を積んでいても、どんな現場を見てきていても、返ってくる答えが同じなら、その人である必要はなくなる。平均を高速で出せるようになった分、平均を出すだけの仕事は、静かに溶けていく。
80点は、どこでも80点ではない
ここで見落とされがちなことがある。AIの80点は、どんな仕事でも80点というわけではない、ということだ。数字を扱う型のある作業では、AIは80点を超えてくる。ところが、判断が絡んだ途端に崩れる。
広告を例にする。「シミュレーションを出して」と頼めば、それらしい数字は返ってくる。けれど実際の運用で問われるのは、数字そのものではない。クリエイティブを変えるのか、ターゲットをもっと刻むのか、どこでABテストを切るのか。こうした判断のポイントになると、AIの答えは急に表面的になる。言葉の上をなぞるだけで、肝心のところを外す。この領域では、80点にすら届いていないと感じる。人間の経験のほうが、はっきり上回る。
アカウント運用になると、もっと落ちる。企画案も改善案も、それらしいものは次々に出てくる。数だけなら人間より多いかもしれない。ただ、どれも教科書的で、幅が狭く、そして肝心なところを外す。最新のトレンドを踏まえているかというと、踏まえきれていない。それらしいのに、刺さらない。その距離が、なかなか埋まらない。
理由のひとつは、AIが平均へ引き戻される力を、常に内側に抱えていることだと思う。自社のデータを渡しても、その重力は消えない。放っておけば、無難な真ん中へ、静かに戻っていく。
平均化は、入力から始まっている
もうひとつ、あまり語られないことがある。平均化は、答えを出す前、入力の段階からすでに始まっている。
動画広告のクリエイティブを、AIはそのままの形では受け取れない。実際には、数秒に一コマ抜き出した静止画と、書き起こしたナレーションや文字情報に置き換えて処理している。人間が一本の動画から受け取っている間やテンポ、表情といった機微は、その時点でこぼれ落ちている。判断の前に、受け取る解像度そのものが粗い。粗く受け取れば、返ってくるものも粗くなる。
平均化は、答えを出す瞬間ではなく、世界を受け取る瞬間から始まっている。
だから、素材として扱う
だから私たちは、AIの答えを答えとして受け取らず、素材として扱っている。
80点を高速で出すところは、AIに任せる。そのほうが速い。ただ、その80点を最終物にはしない。そこから100点へ、ときには120点へ引き上げる工程を、人間の判断のレイヤーとして、仕組みの一番上に必ず置いている。無難な真ん中を、意図を持って崩す。方針ごとひっくり返すこともある。平均から外れていくこの最後の工程が、いまのところ人間にしか担えない部分だと考えている。
AIが賢くなるほど、平均は精巧になり、80点はますます簡単に手に入る。そうなるほど、価値のありかは、80点そのものではなく、その80点をどこまで崩せるかへ移っていく。
AIは、平均に収束する。だからこそ、その平均を疑い、崩し、超えていく人間が、上の層に必要になる。私たちが現場に入り込んでいるのは、そのためだ。